2015年12月23日水曜日

小坂の瀧を考える その1

来年は小坂の将来、いいかえれば自分の将来のひとつの節目になるだろう。最近そんな”潮流”を感じる。僕たちの生きている現在進行形のこの世、平和な世の中だと思う反面すさまじい速さで変化していくある意味”乱世”ともいえる世の中。そんな中、小坂の瀧の存在価値(Value)とは何なのかも一度原点に立ち返って考えてみる必要がある。ちなみにこのブログを始めた時に僕自身のVisionやValueについては触れている。今もそう思って行動している(つもり)”小坂の瀧魂最初の最初の一滴”でもそもそも小坂の瀧そのものはこの世の中の人々からどんな風にみられているのか。何を求められているのか自分なりに考える。

そもそも滝を含め森も川も全部ひっくるめて”自然”はものを言わない。だからどう思っているのかはわからない。でも人間や動物たちはそれによって生かされ、時には殺されたりする。当たり前やけど感情も無いでしょうきっと。それを感じるとしてもきっとそれは人間側の感じ方ひとつ。自然はどこからどこまで行っても自然である・・・。

つまり自然に触れる人の感じ方。それがポイントなんやろうな。たとえば自分はどうやろうか。自然の中に身を置いたときに感じること。

例えば溶岩台地の森ではいつも”安心感”やだったり”やすらぎ”を頂く。

一方、袴滝では気高さを感じ自然の奥深さから”恐怖”だったり”畏敬”だったりを感じる。

さらに、しょうけ滝のゴルジュでは窮地に追いやられた時の”不安”だったりそこを越えようという”高揚感”だったり対峙する自然環境の質によって感じ方が大きく違う事に気づかされる。


じゃあどうしてそこに行こうと思うのか、なぜそれを求めるのか・・・。

「好きだから」と言ってしまえばシンプル。きっと僕は単純にそうなんだと思う。でも人間の思考回路は複雑できっとそこに行きつくまでには色々な体験から紐づけられたあみだくじを引いたような必然的GOALであって末端まで行くとすごい沢山の因子があるんだと思う。結局行きつく先が自然が好き、瀧が好きとなっているだけなんでしょうね。

ではその自然の中でもなぜ小坂の瀧を選ぶのか。

これまた自分の場合はそこが好きだから。愛着があるからでしょうね。単純明快です。
でも自分以外の人はどうか、この町に住んでいる人の中でも僕と同じじゃない人は沢山いるだろう。その人たちにとってこの小坂の瀧とは何の接点があってどんな存在価値があるんだろうか。

生活に直結していないものに感心はあまりないのかもしれない。そのような人には現段階での価値はあまりないのかもしれない。ただし内外の人を含めてそれを求める人たちはどんあだろう。

実際に過去に案内をしてきたお客さんの事を思い出す。彼らがツアーの終わりに見せるあの満足げな顔。リフレッシュできた!っていう人、また来たいな~っていう人、色々いたな。みんなすっきりした顔をして帰っていくような気がする。その中でも印象的なお客さんで「心の垢までも洗い落とせた気がする」という言葉を残した人がいる。それかもね、もしかしたら。


きっと人間生活をしている限り何かしら垢がつくんでしょう。それはストレスであったりしがらみであったり・・・。とにかくスッキリしたい!そんな時にこの瀧という強力水流パワーが最適なんでしょう。そう考えます。

じゃあなぜ沢山ある滝の中でここ小坂である必要性は何なのか。
それはきっと近場だったとか、高山に行くついでだったとか、滝マニアだったりとか色んな背景の人がちゃんと理由を持って選んできているはず。

でも中には何も知らずにふらりと立ち寄る人や友達にそそのかされてきた人なんかもいるから前情報ゼロなんて人もいるでしょう。そんな人たちはきまって「知らなかったけどいいところだね」とか「もっと宣伝しなきゃ」とか言ってくれる。ごもっとも。きっと彼らに正しく情報が伝わっていないんでしょう。いやまったく届いてもいないのかも。

う~んいっろいろ考えを巡らせるうちにとっ散らかってきたので一旦まとめ。

小坂の瀧のValueは”スッキリさせるパワー”だと思う。だからこそスッキリしたい人にこのスッキリパワーを届けたい。そのために僕にできること、次はここを突き詰めていこう。とりあえず今日はここまで!



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