2020年10月29日木曜日

【備忘録】濁河川兵衛谷踏査

最後に兵衛谷の在りし日の姿を見たのは多分2017年の9月。龍門の滝へのアテンドが最後だったか。その時は噴火に伴い発生した土石流の影響で滝の釜は埋まったものの渓相の変化はそれほどなかったことを記憶している。しかし去る2018年6月28日未明、総雨量1000㎜ともいわれるその局地的な大雨によって御嶽の山体は削り取れれ大規模な土石流を発生させた。その奔流は下流域まで一気に流れ下り僕の住む家の前を流れる濁河川に達し、それはまるで雷鳴にも似ていた。鳴りやまない雷鳴よろしく轟音と、家の中にまで漂う土臭さに飛び起きた。窓の外に見た今にも氾濫しそうな濁河川の姿に慌てて家族をたたき起こし着の身着のまま避難したことを今でも鮮明に覚えている。

その災害から1年、濁河川をはじめ被害の大きかった椹谷などの一部については、車両でアプローチできる場所に限って我々NPOによって踏査・現状を把握し、一部のコースは復旧し案内できるようになった。しかしそれらがおよばぬ奥山のコースについては被害状況すら確認できていなかった。特に兵衛谷中流部はアプローチが困難で手が付けられずに一年が経ってしまっていたことに自分の中ではやるせなさを感じていた。

そんなさなか、夏の間スーパー助っ人として滞在していた見た目浮浪者(いや失礼)しまとーが兵衛谷を詰めてみたいと言っていたのを思い出し一念発起。
シャワクラのシーズン中にも関わらず間隙を縫って2019年9月の上旬に1泊2日の兵衛谷踏査を強行したのだった。今回の相棒はもちろんしまとー。踏査とはいえ大好きな沢泊沢登り。否が応でも気持ちは高まる。さて、どんな沢旅になることやら・・・。




今回の計画はこうだ、兵衛谷・濁河本谷の出合から遡行し兵衛谷→シン谷と詰めあがり賽の河原へ抜け、そのまま摩利支天山乗越経由で五の池→濁河登山口へ下る少々ハードな計画。しかも今回は遡行期間中シャワクラの仕事で車両を使うため濁河から下界に戻るすべがない。そこで思いついたのが自転車。工程はおおむね下りというものの随所に上り返しがあるアップダウンコース。さすがに泊まり装備全て積んだザックを背負って40kmのアップダウンロードはしんどい。てなわけで観光協会で持っているE-Bike(電動アシストマウンテンバイク)をレンタルし登山口へデポることに。さて、これで帰りも楽しくなった(!?)

スタート前日、入手した情報によるとどうやら取水堰堤が工事のため開門するようだ。これはいかんということで急遽予定変更。出合からゴルジュを泳ぎっぱなしで体力消耗するのはご免、そして今回はコースの踏査という目的のため(!?)下流部ゴルジュはパス。滝めぐりコースでもあるしょうけ滝コースの降り口まで林道を歩くことに。ただ延々林道歩きは意外としんどい。結局兵衛谷本流に降り立つのに2時間を要した。しかし下流部ゴルジュを突破することを考えると半分で済んでいるのでよしとしよう。

ここからようやく兵衛谷の本流。降り立ってみてびっくり。谷底の変化よりもむしろ斜面からの倒木の多さが目立つ。きっとこれは昨年の9月の台風の影響に違いない。豪雨の影響もさることながら台風の影響をこんな谷底までうけているとは。やはりしょうけ滝手前のゴルジュ(オーバーハングの淵から滝のない滝つぼ)までの区間はむしろすっきりしており渓相は美しい。しかしながら水量が多く水線沿いの突破が難しいので高巻き。滝のない滝つぼを見下ろし下降すると谷底から3mが急なガレになっていかにも降りづらそう。しまとーは先陣切手降りるもののプチ滑落。グローブしていなかったため手をずたずたにされて痛そう(苦笑)

ゴルジュの最奥に鎮座する大御所・しょうけ滝(2段25m)を左岸巻きで越えていくと河原は一変して平凡なゴーロに変化する。しばらく歩くと見覚えのある光景に突き当たる。しかしどうも様子がおかしい。以前は深い淵を湛えた3mほどの滝があった場所には滝も淵もなくただ平凡な流れが20cmほどの落差の瀬をもって流れていた。そう。滝が消滅していたのだ。そこには確かに滝があった。しかし今は無い。以前のこの淵は濡れずにパスしようと思うと意外と難しい場所だった。その当時の名残でリングボルトが今はむなしく無意味にアクセサリーのように取り残されている光景に妙に切なさとはかなさを感じぜずにはいられなかった。

その後も増水と渓相の変化に多少難儀しつつも中流部のハイライトともいうべき扇滝までやってきた。扇滝は兵衛谷屈指の奇観、石橋の下を地下で水流がえぐり滝つぼと淵とを隔てる奇妙な光景が楽しめる珍スポットだった。しかし今はその姿はない。石橋は跡形もなく消え去り、あたかも以前からそうであったように大きな一つの滝つぼを擁した滝が鎮座していた。そう、石橋は寸断され消滅した。それが事実であった。それ以上でもそれ以下でもない。ただそれを受け入れ認めるのみ。心の片隅で残念だとも思ったがこれは必然であり人間にはどうもしようもないこと。ただそれだけだ。

その後も遡行を進めたが幾度となく土石流の痕跡や、在りし日の姿とは大きく異なる渓相を目の当たりにしてきたのだが何故か平穏、いや、むしろ驚かないし、傷つかない自分がいた。吹上の滝・屏風滝・岩俺の滝などの豪瀑を越え龍門の滝、袴田滝、材木滝も越えてただひたすらに作業のように確認するかの如く遡行を続けた。だがそこには自分でも意外なほどに何の哀愁もなかった。

かつてゴルジュであった谷中は土砂で埋め尽くされむしろ平坦地となって快適なテン場で一夜を明かし翌日は兵衛谷からシン谷を経て賽の河原に抜けた。渓相はもちろん随所で変化していた。特に長沢出合までの荒れ方は壮絶なものであった。厚さ5m、いやところによっては10mを超える土石の堆積で谷は埋め尽くされかつての姿などみじんも感じられぬ様相だった。

今回は長沢から百間滝へ抜ける最短ルートを選択したがその道中に通過した広大な面積の原生林が無残にもなぎ倒された光景にも出会った。きっとこれは6月豪雨の後、9月の台風の影響であろうと予測がついた。2018年という年は一瞬にして僕の記憶していた御嶽・そして兵衛谷を過去の喪にしてくれた、そんな劇的な変化を与えてくれたものだと改めて感銘?を受けた。
僕たちが今見ている景色は決して永遠ではなく、永遠と思われるものもたかだか人類、いや、有史(2000年そこそこか)でしかない。何千年も何万年もかけてできた光景が一瞬にして無くなることも何十万年、何百万年の長い月日の流れの中においてはよくあることなのかもしれない。でもその一瞬に出あれる確率はかな~り低いはず。

僕は兵衛谷にはなにかしら愛情のようなものすらある。だから変わってしまった姿には多少なりとも、いや、人一倍傷ついている。しかしながら変化が常である渓流において保全はただの人間のエゴだとも思う。だから僕はあるがままを自然に受け入れるし、過剰に悲しみもしない。だってしごく自然なことだから。むしろその一瞬一瞬の変化を目の当たりにできて幸せだとさえ思う。

さて、一部の方はお気づきの通り今回の遡行はとても冷静です。いつもの僕なら情熱的で奮闘的な記述になりがちですが今回は既知が前提の冒険要素がほとんどないいわばトレース(追跡)のような一種”作業”とも呼べる所業。されども随所に傷跡というべきか、痕跡というべきか、豪雨の仕業と思わしきものを随所に見受けられ、既知の中にも新鮮さを得ながら遡行できたことに今回の価値を見出そう。