2023年4月7日金曜日

新たなステージへ

2013年、小坂の滝めぐりガイドとして専業ガイドの道を歩み始めた。その3年後、2016年には滝めぐりガイドの経験を糧に日本山岳ガイド協会の登山ガイドステージⅠを受験・取得し、全国的に活動の幅を広げる登山ガイドとしても活動を開始した。翌年にはステージⅡにアップグレードし現在に至るまで滝めぐりガイドの傍ら、夏山を中心に登山ガイドとしても活動をしてきた。

一般的には山岳ガイドという名称の方がなじみ深いのでは?いまここで登山ガイドと山岳ガイドの違いを整理しておきたい。

平たく言うと、両者の職能範囲(案内できる領域)の違いは登山ガイドは”登山道を案内”するガイドであるのに対し、山岳ガイドは”登山道以外”(いわゆるバリエーション)でもガイドが可能である点。また、登山ガイド、山岳ガイドにはそれぞれ細かくステージが分けられており、登山ガイドには三段階(ステージⅠ・Ⅱ・Ⅲ)、山岳ガイドには二段階(ステージⅠ・Ⅱ)ありそれぞれのステージで更に細かく職能範囲が決められている。

この前提で登山ガイドに絞って話をすすめると、ステージⅠでは無積雪期の案内、ステージⅡでは積雪期の案内にも対応する。ただし、無積雪期の案内においては難路や岩稜の案内はできない、また積雪期にあってもアルパインエリア(森林限界を越える場所)や岩稜・雪稜の案内はできないことや、営業施設から近い場所で日帰りできるエリアに限るなどの制限が設けられている。登山ガイドステージⅢでは範囲が広がり無積雪期であれば岩稜などの難路の登山道(山岳地図で破線などで示されるルート)が、積雪期であれば急な雪稜や岩稜を持たない、営業施設から日帰りが可能なアルパインエリアもその職能範囲となる。

そして、登山道以外も限定的ではあるが案内が可能になる。例えば沢登り。表現としては”沢歩き”とされていて、滝の登攀や釜の泳ぎなどが無い歩いて山頂や登山道まで抜けられる沢に限るなど限定されているが、登山道を外れたルートを案内することが可能になる。これはつまり、わずかに登山ガイドの前提条件から外れ、山岳ガイドの領域に踏み込んだ職能範囲となる。

そのため登山ガイドステージⅢに求められる能力には登山ガイドでは通常行わない、積極的にロープで確保しながら登る技術が求められるため、検定では常にショートローピング(顧客とガイドがロープで繋がって行動する)を前提に進められる。また、登山道から外れたエリアの案内を行うため読図、ナビゲーションスキルについても一定水準を求められる。

そのため登山ガイドステージⅢの受験資格として、無積雪期のバリエーションルート5本以上、1級以上の沢登り12ルート以上などのリード経験などを必要条件とされている。そのうえで書類審査に通過し、実技検定へと進むことができる。実技検定の内容は①ロープワーク②無積雪期ルートガイディング③積雪期ルートガイディングの3つの検定で、まずは①を受験し、合格しないと先に進めない。

僕が登山Ⅲを志したのは2018年。理由としては沢登ガイドとしての活動の幅を広げることと、岩稜(主に穂高の主稜線)の案内をできるようになりたいという理由で山岳ガイドとして活動している先輩ガイドから現場でショートローピングの技術を学んだ。そしてあくる2019年、書類審査に合格し、いよいよロープワークの実技検定を受験。6月初旬に西穂高岳で行われた検定の受験者はなんと僕一人。これに対し検定員は2名。結果だけ言えば惨敗。受験者がぼく一人であったため、途中から検定というより現場での実技講習となったのは怪我の功名。しかし検定を甘く見ていた。この程度で大丈夫、と高をくくっていたことを深く反省し、ここから3年、とにかくステージⅢに合格できるだけのスキルを身に着けることを主眼に置いて経験を積んだ。

そして2022年。いよいよ再起の時。今の自分の能力を確認すべく4月、妙義で行われた事前講習に参した。講習を受けることで「よし、これなら行ける。」と自信を持ってロープワーク検定の再挑戦を決意。

そして5月、いよいよ本番。西穂で行われた検定の参加者は12名(定員MAX)検定員も3名体制。1チーム4名に別れ、常にショートローピングの状態で西穂山荘~西穂高岳の稜線で検定が行われた。訓練と講習の甲斐あって出来栄えは上々。今回は難なく合格できた。

しかし、このスムーズな合格に少し気が緩んだ。次は最も得意分野の沢登りでのルートガイディング。今回は事前講習は受けず本番に臨んだ。10月下旬の奥秩父、稜線では雪降る寒いコンディションの中で開催された検定の受験者8名。今回も検定員は3名体制。僕は2名1組チーム。西穂の検定で一緒だった顔ぶれは半減していた、代わりに昨年からの受験者が半分を占めた。つまりこの検定も”落とす”検定であるということ。今回の2泊3日の検定ではテント泊2泊のため自炊が前提となり、テントも含め荷物は膨れ上がり、45リットルザックに無理やりに詰め込んで臨んだ。(参加者のほとんどは50リットル越えのザックが多かった)試験は①読図②沢でのショートロープ③生活技術が焦点となった。③については問題なかったが①②については大きくミスをした。一つ目はロワーダウンからの1/3レイジングシステム。事前講習を受けなかったこともあり、我流での練習をしていたため本番でバックアップが反転し、失敗を繰り返した。結局3日目で最後のチャンスを与えてもらい3度目の正直で何とか形になった。そして2つ目。読図では誤った尾根を下降したり(あとで復帰できたけど)地形図の磁北線を東西逆に引いたりとミスが続いた。この2つのミスを受けて試験後は正直落ちたな、そう思って来春の受験を誓い帰路に就いただけに、数日後に受け取ったまさかの合格通知には飛び上がって喜んだ。しかし、同時にこれはまずい、やはり”おごり”はダメだ、万全にして臨まなければならないと思い直し、冬の検定には事前講習を受けて臨むことを決意した。

年が明け、2月上旬の北八での事前講習。ビーコンでの捜索、埋設アンカーの要領など、やはり参加しておいて良かった!と思う内容ばかりだった。その後、講習での反省点や課題点を訓練すべく、冬の滝めぐりのガイドで忙しい合間を縫って、時には同僚に付き合ってもらいトレーニングに励んだ。そして3月中旬、本番の日を迎えた。そう、今回の検定ですべてが決する。認定に王手がかかっているだけにいつもより緊張した。受験生は11名3~4名1チームに分かれた。西穂から検定も講習も一緒だった面々とは気心知れた同志。皆お互いに励まし合い、全力を尽くした。検定は今回も2泊3日で行われた。この検定での自分の中での懸案は3つ。埋没アンカー構築と、雪崩埋没者捜索(5分以内)およびナビゲーション(同定表作成から)。初日、2日目と順調にこなし、懸案だった2つは上々とは言えないまでも順調にこなせた。大きなミスなく、むしろ順調すぎるくらい順調に迎えた3日目。残すは最後の懸案ナビゲーション。前夜作成した同定表に基づき個人戦でウェイポイントを通りながらゴールを目指すというもの。ニュウから北のコルに移動し、そこから稲子岳を経由し中山峠に抜ける。登山道ではないので良くずぼる。途中ワカンを履いたり、ストックを出したり、立ち止まって位置を確認したりと頻繁にストップアンドゴーを繰り返した。順調にウェイポイントを通過し稲子岳の山頂に到着。休憩し、さて、終盤、ここまでくれば合格したも同然!そう思い意気揚々と再出発しようとしたところ、無い。あるはずのピッケルが無い。どうやらどこかで落としたようだ。血の気が引いた。検定官に断り、ダッシュで来た道を戻り探したがみつから無い。正直終わった、と思った。ただ、ここで検定を終わらせるわけには行けない。ピッケルを早々に諦め検定に復帰。半分割り切って半ば後ろ髪惹かれつつ残されたわずかな検定の行程を終えた。最後の最後になんてことをやってしまったんだ!自分のバカヤロー、そして長年連れ添ったピッケルよ、申し訳ない!試験後数日自責の念で頭をもたげた。

それからひと月。待てど暮らせど通知は来ない。これは落ちたかな、来年受験しよう!と開き直っていたところに、その通知は舞い込んだ。届いた黄色い封筒はいつもより厚みがある。開いてみると紙以外に小さな紙包みが。この時点で確信!そう、それはガイド証。つまり合格!?とはいえまだわからない。3枚の紙の1枚をみると登山Ⅲの認定通知証が!やった、なんと合格したのだ!半ばあきらめていただけに喜びもひとしお。

4月の妙義での講習からまる1年。志してから5年。ここに僕のガイド資格としての最終到達点に達することができた。ただここからがスタートライン。資格とはある一定の条件をみたしたものを証するものであって、ガイドとして成熟していることを証するものではない。つまり登山ガイドステージⅢとして、案内したいエリアを案内できるガイドとしてようやくスタートラインに立てたのである。

ここからが正念場。今まで以上にリスクの高いエリアに顧客を案内する機会が増える以上、安全に案内できる技術はもとより、危急時の対応、顧客に安心を与えるホスピタリティーなど、今まで以上に磨き上げが必要だ。

慣れることなかれ、おごることなかれ。常に顧客本位。改めて自分の立ち位置を認識し、ガイドとしてさらに磨きをかけ、お客様に選ばれるガイドとして成長できるように志を常に高く持ち続けたい。こんな初心を忘れたくないので備忘録として、今後の戒め、そして人生の重要ウェイポイントとしてその軌跡を残しておこう。

さて、ここから新たなステージ。いよいよ本領発揮といきますか(笑)



2023年4月6日木曜日

静かな春の御嶽山をもとめて(摩利支天北西尾根)

3月下旬から4月下旬の春の御嶽山。毎年この時期は冬が終わり穏やかな気候が訪れ、平和で静かな雪稜を楽しむことができるのでお気に入りの季節だ。本格的に雪山を始めたのもちょうどこの時期の御嶽山が事始めだった。10年前は冬の御嶽、特に濁河側から訪れる人の数はそんなに多くは無く、トレースが無いのは当たり前で、毎回ラッセルだったことを記憶している。

しかしこの3年、冬でも週末になれば駐車場は満車。平日でも登山者が一定数入っているのでトレースが消えることは無く、森林限界まではまるで高速道路のごとき状況が多い。無論、いつ行っても誰かしら登山者に出会う。雪山で人に沢山出会うのは八ヶ岳くらいだと思っていたのはもう昔。御嶽山は冬山でも人気を博して(?)いるといってもいいのではないか。
この状況になったのもきっとYAMAPやヤマレコなどの登山系SNSの働きの大なるところは否めない。情報はリアルタイムに更新され、登山のうえでリスクとなりうる現地の積雪状況やルートの情報なども正確に追体験できるようになった。かくいう僕も良く参考にしている。
しかし一方で”未知への期待感・不安感”が損なわれ冒険性に欠くようになった。ネット上のブログや紙面での情報は全てを明らかにしていないケースが多い。そう、ある程度の”妄想”を誘う余地がある。しかしSNS、とくにGPSの位置情報の軌跡はその余地を奪う。写真なども正確に撮影場所をプロットしてくれるので実際に現場に行かなくてもほぼ正確な状況をつかめてしまう。確かにこれは登山の不確実性を排除し安全性を高めるうえでは重要な役割を担ってくれるとは思う。しかし、これに頼り過ぎては前述の通り山登りの本来の楽しさ、”未知への冒険”を色褪せさせてしまうのではないだろうか。
僕は決してアナログ至上主義ではないし、新しいテクノロジーはどんどん活用すべきだと思っている。しかし、流されて本質を見失いたくないとも思う。幸い僕はまだSNS情報網やGPSなどが手軽に利用できない時代から山に入っていたので、未知への冒険の楽しさを知っている。
そう、今となっては御嶽山でそれを味わうことが難しくなってきた。そんな折、ふと昔の記録を読み返していたとき、13年前の記録に目が留まった。それは御嶽での沢登り熱が最高潮だった頃の記録で、お盆休みを利用して兵衛谷の支流、尺ナンズ谷を遡行し、継母岳に詰め、下山に藪漕ぎで摩利支天北西尾根を下山した時の記録だった。
あれは今でも記憶に残る”未知への冒険”だった。尺ナンズの遡行記録はほとんどネット上でも見つけられず、頼りにしたのは和合さんの話と写真。そして若かった僕らはそれだけでは飽き足らず、まだ未踏だった継母岳と摩利支天の先に続く北西尾根をまとめて計画にぶち込んだ。遡行も下降も気の抜けない計画でワクワクとドキドキでいっぱいだった。そしてもちろん不安でいっぱいだった。

と、ずいぶん前置きが長くなってしまったけど、今回そんな懐かしい記憶をたどって、そして静かな御嶽山を楽しみたくて、まず間違いなく人に出会うことはないであろう北西尾根から摩利支天山を目指すことにした。もちろん積雪期ははじめて。きっと誰かは登ったことがあるだろうし、そんなに困難なルートではないであろうと予想はついていたけれど、初めて訪れるわくわく感はあった。

展望台からこれから登る北西尾根が良く見える

いつも通り雪が緩む前に稜線を登って降りる計画で早朝スタートにした。とはいえ、6時台ですけど(笑)登山口に着くと平日なのに2台すでに車が停まって出発準備をしている。僕も早々に身支度。今回はトレースが無いのと融雪が進み特にスタート直後はズボズボだと当たりをつけた。湯ノ谷右岸の尾根に取りつき登山スタート。ワカンを履いていてもズボる。しかも出だしがわりと急。気温が高いのも助けて汗だくになって登った。標高2000m付近までは結局ワカンで通すことになった。ようやく雪面も締まりアイゼンに履き替えるとすぐに森林限界を迎えた。以前の訪問時にはひどい藪漕ぎを強いられた尾根も積雪のおかげですっきり快適。おまけに眺望も最高。やはり積雪期に登る尾根だ。尾根が北向きから北西向きに屈曲するあたりは風の通り道で雪庇が発達していた様子が随所に見受けられた。厳冬期は風が酷いのだと容易に想像できる。


森林限界に出た
ところで以前来た時には旧道の証らしき道の形跡や慰霊碑などを見つけた。今回も雪が切れた岩場に見覚えのある場所があって近づいてみるとやはり以前見つけた慰霊碑がそこにはあった。静かに手を合わせてその場を後にした。
摩利支天と継子岳越に北アルプスが良く見える
尾根は快適そのもの。景色も良いし傾斜もほどほど。ただ一向に摩利支天が近づかない。見えてると思いのほか遠くなる現象。とはいえ焦る必要はないのでのんびりと誰もいない静かな御嶽の尾根歩きを満喫した。
なだらかな雪稜が続く。まるでスキー場。
摩利支天に近づくと岩場がでてくる。雪もついていなくてアイゼンで岩の上を歩く。山頂直下では3mほどの岩登り。とはいえ傾斜もゆるく簡単。あっけなく摩利支天の山頂にたどり着いた。時間もはやいこともあってここも誰もいない。しばしのんびりと摩利支天山の山頂を独り楽しんだ。

摩利支天山頂
山頂を後にして尾根から見えていて気になった、兵衛谷の最高所の滝にもせっかくなので立ち寄ることにした。尾根の適当なところから源頭目指して斜降する。標高2750m日本最高所の滝はしっかりとした氷瀑になっていた。12月の初旬に凍り始めたそれを見に来たことがあったがそれよりも立派だった。おそらく季節柄融雪と凍結を繰り返し、この季節に立派に成長したのだと推測できる。あらたな発見だ。

最高所の滝の氷瀑
一通り滝を楽しんだ後は下山、とはいえ登り返し。時間も余裕があるので通常ルートの様子も確認したく、摩利支天乗越を越え、五ノ池に下った。森林限界までのアルパインエリアはまだかろうじて締まっており、緩む前にと、すばやく下った。樹林帯はトレースもあるのでアイゼンを外しさらに加速して下る。あっという間の下山だ。
乗越からの景色がやっぱり好き
短い時間ではあったけどコンパクトにいろんな要素を楽しめるこのルートは春の御嶽を楽しむルートとして素晴らしいルートだと思う。またコンディションによっても雰囲気は変わりそうだけど何度か訪れてみたい。こうなると他の尾根もきになるな。次は兵衛谷側の尾根にトライしようかな~。