2016年10月17日月曜日

【再考】小坂の瀧魂

僕の脳裏に”小坂の瀧”とい言葉が焼き付けられてきてから久しい。

今となっては当たり前のことになっているけども、いったいそれはいつのころからやったんや?

振り返ると、多分保育園の遠足の写真。真新しいがんだて公園のステージに腰かけている(当時まだ駐車場スペースは舗装されていなかったためステージとは20cmほどの段差があった)複数の園児と並んだ僕の姿。この時三ツ滝まで行ったのかは定かではない。そんな5歳。

初めて”小坂の瀧”という写真集の存在を知り読みふけった12歳。

暇つぶしと小遣い稼ぎのため、がんだて公園の売店で団子焼きのバイトをしてた15歳。(当時の滝見遊歩道は現在の茶色ではなく、緑色だったな)

幼いころ”やまのぼりのおじさん”に見せてもらったあのころ(推定6歳)の「ガッシャンガッシャン」は小坂の瀧写真集の素材を幻灯機のスライドショーで”魅せて”いたのだと気付いた18歳。

「国有林のあのゲートの向こう側が見たい!」という思いから「卒論の調査ならいけるんじゃね!?」と思いつき卒論テーマにかこつけてオフィシャルに入林許可申請を取得し思うがままにゲートの先の世界を行き来した21歳。

社会人になり、社会の波にもまれながらも、ふと見た中日新聞の記事の中に”NPO飛騨小坂200滝の設立”を知り「先を越された!」と思った23歳。

オヤジから、”禁断の領域”と言われ続けた小坂の魔境”兵衛谷”に足を踏み入れた25歳。

ついに、人生を”小坂の瀧”に捧げると決心した28歳。

そして、これほどまでにこの小坂の瀧を愛する人が他にも県外にもいるのだと知った33歳までの5年間。

写真集”小坂の瀧”と同い年。落合”御嶽橋”は誕生日も同じ”タメ”

常にどんなことでもできれば事の始末に責任はあまり負いたくはない。

でもこれだけは最後までやり抜きとおしたいと思った。

小坂の瀧とともに生きる。これだけは逃げない。突き進むのみ。

道などない。ただその先へ進め。





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