2021年9月10日金曜日

温故知新 ~常念岳・一ノ俣谷遡行~

 22歳で本格的な沢登りをはじめた僕。すべての動機は”小坂の瀧”その写真集の滝を自分自身で”ナマ”に出会うためだった。全面戦闘態勢で初めて触れた小坂の瀧、いや、小坂の渓谷で受けたその衝撃・激動・感動は今でも僕の中にしびれを伴い思い出される。これはやっかいなことに中毒性があるのだ。そう、いつしか僕はそんな魂の揺さぶられる”しびれる”体験を求めるようになっていた。




そんな小坂の”瀧”あらため、小坂の”滝めぐり”が僕のライフワークとなり、盛夏はシャワクラに明け暮れ毎度気づくと9月も終わりになっている。そんな沢のシーズンも今年、2020年で8度目のシーズンオフを迎えた。そして気が付けば僕も37度目の誕生日を迎えていた。年を重ねても止むことのない探求心と小坂の瀧への愛はますます募るばかり。

9月の末、僕は仕事を片付け夕食を済ませ今朝と同じく家族に再び「行ってきます。」と告げ一路車を安曇野に住む貝山氏のもとへ走る。通いなれた国道41号線を北上し高山へ、そこから東へ進路を変え松本を経て安曇野へ至る。すでに時刻は21時を回っている。

僕が22歳の当時、K山氏は27歳。お互い20代の独身だった。15年を経て家族が増え、今ではお互い2児の父。そんないい歳したおっさん二人で今回計画した沢遠征。

そうそう、沢遠征はそもそも普段慣れ親しんだ小坂の渓谷を離れ、他の山域の深山名渓に触れることで小坂の渓を客観的に見返すための価値観の発見が目的の旅であったわけで。

でも今となってはそもそもの目的よりもむしろ、沢そのものを楽しみたい、端的に言えば日常生活から離れ、どっぷり沢生活に浸り、俗世間から距離を置くことによって鈍っていた感性を磨きなおす(言い換えれば今の自分を顧みる)ことが目的となっていった。やわらかく言えば、「キツイのはほどほどにのんびりいこまーい!」というこです。そう、ここらで軽く一休みが必要なんです。僕たちにはね。


北アルプス南部の盟主槍ヶ岳に水源を発し、常念岳に至る稜線からすり鉢状に広大な集水面積を誇る梓川源流の一ノ俣および二ノ俣。その水は蒼く清冽で、その流れは花崗岩を磨き上げ白く輝く石とコバルトブルーの水の織りなす世界はさながら宝石箱のような渓谷美を醸し出していた。



僕たちは今回の遡行にそのうちの一つである一ノ俣から常念岳に詰めあげるクラシックルートを選んだのであった。このルート、かつては常念岳西側から直接アプローチする登山道として渓谷沿いに黒部氏もの廊下よろしく水平歩道が括り付けられた登山道が伸びていた。ただ廃道になってから半世紀以上経ち、登山道は自然に還っているらしい。

文字通り雲一つない秋晴れ、寒さすら感じる早朝の上高地バスターミナルに降り立った僕たちは久しぶりにアツイ沢旅に胸を膨らませながら長ーいアプローチ(10km)を黙々と歩みを進めた。

横尾を通り過ぎ、梓川も源流の様相を呈してきた。歩みをすすめ少々長すぎるアプローチに辟易しかけたころやっと一ノ俣橋に到着。時刻はすでに10時半。やっとここからが待ちに待った”本当の”スタート。沢支度はいつも楽しい。登山用靴下から沢登り用のネオプレンソックスに履き替え、渓流スパッツ、ハーネスにジャラ類をぶら下げ、ヘルメットをかぶり、あごひもを締めれば気持ちも自然と引き締まる。さぁ、ここからが本格的な沢登りのスタートだ。


歩き始めてすぐに釣り師に出会う。しかも外国人。よく見ると右手に何やら腕章をつけているようだ。すれ違い際に挨拶すると、流ちょうな日本語で「私は環境省の調査の一環で来ています」との返事が。確かに環境省の腕章をしていた。魚類の生態調査のようだ。


外国人調査釣り師と別れずんずん沢を進んでいくと最初の滝が現れる。前述の通りこの谷、もともとは常念岳への登山道として使われたのでもれなく滝に名前がついているわけで。最初に出会った一ノ俣F1は二段の滝と呼ばれている。遠巻きには1段で直登可能な滝に見えたが、なるほど、近寄ってみると二段あって両岸割とつるつるで直登は難しそう。個々は迷わず右巻きで。巻きは滝横のルンゼを詰める。すると詰めあがった先には踏み跡がみられる。踏み跡にしては高規格。多分登山道の名残かな。続く七段の滝まで左岸につけられた登山道の名残をたどる。七段滝の前衛は一見すると右岸に活路を見出せそう。しかし水流際でヌメリが気になり、ここを突破する気力もないのであっさり右巻きへ。ただこの巻きは前述の二段の滝のようにルンゼから上がるのだが上部がもろく悪い。落石しないよう配慮しながら上流へトラバース。意外とデリケートな高巻きはいいアクセントになった。



ここからがある意味ハイライト。眼下に七段滝のゴルジュを見下ろしながら旧道の岩切道を進みます。ネイリングされたボルトやチェーンが今なお残り、やたら登山道臭い。大きく右折するところで展望が開け向かいの穂高の山並みが美しい。その後谷に復帰したら一ノ俣滝はすぐそこ。名のある滝だけに立派な風体。その後支流にかかる山田の滝を見送ると、いよいよこの谷の盟主、常念の滝に出会う。この滝は本流にかかる小滝とそれに似つかわしい大きな滝つぼ、そして側壁に白い布を垂らしたように優美な常念の滝が紺碧の空から落ちている。その光景はこの世の眺めとは思えないような絶景で僕たちを魅了してくれた。



ただそろそろ僕たちも歩き疲れた。今宵の宿を求めふらふらとさまよい、やっとの思いで奥の二股にたどり着く。今宵はここで幕。長ーい一日を至極のビールでねぎらう。やっぱこれでしょ。酔いも助けてか、シュラフにくるまりすぐに眠りに落ちた。

目覚めて翌朝。目指す常念岳はもう目前。すでに源流の様相で地形図からみてもほとんど滝といえる滝は無いはず。ただ、ここからヌメリとの闘い。以上にぬめる沢床、両岸から張り出した背の低い樹木に行く手を苛まれながらじわじわと歩みを進める。スタートから1時間で常念小屋へたどり着く。そこから常念岳のピークへ。歴史の道をたどり常念岳の頂きにたどり着く。そう、このプロセスにこそ意味がある。ピークを踏み、山頂直下でK山氏がコーヒーを淹れてくれた。これぞ至極の一杯。足下に歩んできた流程が見える。いつもそう、こんな長い距離よく歩いたなーって思う。そしてちょっと満足感に満たされる。それでいい。それがいいのだ。休憩を終えこれで僕たちの今回の山旅は終わりを告げた。下山路は長野に住むK山氏は三股へ、岐阜に住む僕は上高地からバスで平湯へ。それぞれの帰路を別々に帰る。山頂で「お互い元気でまた会おう」そんな別れもなんだかしゃれているな、そう思いながらお互い背中を向けて別々の方角に向けて歩き出す。



蝶ヶ岳へのアップダウンのある縦走路をひた歩き、横尾へ下る。横尾からも無論長い林道歩きに閉口しながらも無事に上高地BT到着。達成感はあまりなく、むしろ倦怠感だけが残る。常念岳頂上でこの遡行が終了しているだけに長すぎる消化試合には何の楽しみもない。新型コロナウィルス感染対策など無い満員のバスに揺られながら平湯にたどり着き僕の今回の旅は終わった。

梓川一ノ俣は良い沢ではあった。ただアプローチが長すぎること、それに比べ沢の距離が短いことなどから遡行対象にはなりづらい沢ではある。が、しかし歴史を感じノスタルジ―に浸るにはうってつけの沢ではあった。お勧め度は低いけれど北アルプスの古道マニアには是非一度登っていただきたいルートではあるかな(笑)

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