2022年1月12日水曜日

何度でも、濁河川兵衛谷

 もう何度この谷と戯れたのか。でも何度訪れても胸は高鳴り鼓動は押さえられない。いつまでも色あせることのないような初恋。それが僕にとっての濁河川兵衛谷だ。訪れるたびに新しい発見がある。

2019年しまとーと巡った被災箇所の点検遡行。そして2021年、洞くんを誘って完全遡行に臨んだ。

今回はあれこれ細かく記す必要はない。やっぱり好きです、兵衛谷が。小坂に生まれてよかったと思うその理由のひとつ。かの谷は僕に与え、包み、そしていつも最後に問う。「お前は何者か」であると。僕は答える。「あなたの子」と。その純粋で素朴で一見無意味な問答を繰り返すが如く幾度もこの谷へと、足を運ぶのである。






















2021年9月18日土曜日

大菩薩嶺・泉水谷小室川

 時は明治。すでに日本の中心は東京に移り変わり人口集中が著しい大都市となっていたことだろう。時の東京市長尾崎氏はその状況を憂え、自らの足でこの奥多摩・奥秩父の山域を踏査し、東京市民の水源たるこの山林を将来のために今保全し、水源を確保しなければならない!と決意し、これらの山林を東京市の管理すべく英断を下したがために、現在に至っても東京水道局がこの地方の山林を直轄している。

そんな東京都民の水源を担う森の源流の沢、今回僕たちは足を運んだ奥秩父の名峰大菩薩嶺東面の丹波川支流、泉水谷小室川谷。谷の両岸は見渡す限りの広葉樹の森。針葉樹はといえば時折ぽつぽつと混じる程度。晩秋ということもあり沢筋の落葉も著しく、そのせいか空はより明るく感じられた。しかしながら沢は西を向き、かつ、谷は深く切れ込み日照がほとんど得られないため対照的に沢床や側壁を構成する岩石は黒く、陰湿な沢色を示している。

今回はそんな秋深まる奥秩父の”想いの詰まった”山・川・森を堪能した。


道の駅たばやまに深夜入り。満点の星空で良く冷え込んでいる。やはり10月も下旬になればさすが奥秩父とはいえ沢登のシーズンも終わりに近づいている。翌朝も快晴!しかし気温は上がらない。今日は沢泊なので時間もたっぷり。しっかり日が昇った7時半に国道脇の駐車場をスタートした。
駐車場から少し下り三条新橋より林道を小室向いまで30分ほど歩く。いよいよここから入渓。
以前は橋が架かっていたようだが近年発生したと思われる大水の影響か橋はないし、谷も少しあれたような感じを受けた。しかしながら暗くて寒い谷底。この時期の沢登りは最初に水に足をつけるのが怖い。今回は時期も遅いしヌメリも強いだろうと予測し久しぶりのフェルトソールをチョイス。入渓点は日も当たらないためかヌメリもなくむしろラバーでも行けた感すらあった。


フェルトソールの効きはまずまずだがふだんラバーなだけにいまいちフリクションに自信が持てない。最初の滝は一見すると直登は難しそうで右巻き。巻といっても右壁を直登するような感じ。ルートにはボロイFIXが垂れ下がておりあまり体重はかけたくない代物。できるだけ使わないように登るも、足のフリクションを信じきれないのと荷物が重いのもあいまってこの谷最初で最後の冷や汗をかいた。個人的な核心部は振り返っても最初の巻だった。

その後も滝が連続する。直登できるもの、巻くもの、色々出てきて飽きない。ゴルジュ状の水路を前衛フェルトソールではへつりに失敗しドボンする絵が浮かんだこの滝は右巻き。小さく巻いたつもりが渓に戻るために5mほど懸垂を要した。
本当にこの谷は適度な間隔で滝が出てくる。そしていつまでーも続く両岸の広葉樹に癒されながら進む。そして本日の懸案その一、S字峡がやってきた。深い釜を持った小滝を前衛にどうやらその奥はゴルジュっぽい。夏なら水泳でとりつき水線突破も面白そうだけどもちろん泳ぐ気などさらさらないので左巻き。一段上がったテラスの上にはハーケンや残地シュリンゲが多数。どれを使うかは気分次第♪どれもなかなかの見た目。谷へは垂壁を5m弱の懸垂で降りられそうだが完全に支点に体を預けるのでハーケンをハンマーでたたいて確認。これならいける!という組み合わせを見つけ出しゴルジュ内へ懸垂で降下。ロープを引き抜けばもう後戻りはできない。

このゴルジュ、小ぶりだがなかなか迫力がある。今日は水が高くないのでいいけど水量多いとかなり大変だなって感じの狭まり方。このあたりからヌメリが気になりだしたがフェルトが功を奏して難なく突破。
S字峡を越え、次なる関門、石門の滝。ここで言う石門はこの滝を越えた先にある奇観。10mそこそこの左壁がどうやらラインのよう。ここは荷を下ろしロープを引いて登った。
上部にはいかにも滑りそうなつるっとしたフェイス。残地ロープはあるものの例にもれずボロイ。これに体重はかけられないということで細かいステップを拾い上部へ抜ける。ボロFIXの結び元を見てみると木の根に取り込まれもう自然に還ろうとしている代物!荷揚げの後大事をとってケンタローをビレイ。振り返ってみても技術的な核心部はこの滝かな。とはいえラバーソールならなんて事の無い登攀ですけどね。
そして現れた石門。写真で見てそうぞうしたよりも一回り大きく感じた。もちろん中を通ってみました。谷はいったん緩やかになるもののまだまだアトラクションは続きます。


はい、出ました、名物”小室の淵”一見して決定。「もちろん巻きで。」右岸のテラスへ上がりゴルジュ内をのぞくとCS滝を前衛に谷はグッと狭まり出口にはいかにも悪相の滝。これを水線突破するイメージが全くわかない代物だった。
小室の淵を巻き終えるといよいよ本日の行程も終盤にかかる。と同時にこの谷の白眉と称される連瀑帯に突入するのである。
雨乞いの滝を前衛に3段40m滝が現れた。雨乞いの滝を左からやり過ごし二段目の釜に降り立つ。
2段目の釜は恐ろしく深い。この谷一の深い滝つぼ。2段目を右から巻き気味に登るといよいよ最難関と称される3段目。傾斜の緩いスラブ滝ではあるが抜けが立ち上がっているのが見て取れた。

とはいえしっかりFIXが張られておりそれを握って登ればもちろん何の危険も感じずに突破できる。抜けの部分だけはフリクション勝負なのでここだけはFIXが欲しくなるが気合で突破。これで本谷の核心部を全て突破したのであとはのんびりかー、と油断していたところに大きな滝が現れた。

10m×2段のセット。しかもなかなか立ってるじゃないですか。一段目は左からが定石か。2段目ははっきりとわからない。一段目を登り終えてルートを探っていると左岸をロープを伸ばして登る2名パーティーが目についた。待ってもいいけど寒いし、なんだか時間がかかりそうだったので左の樹林に突っ込んで高巻くことに。樹林の中には踏み跡がありあっさり巻き越えてしまった。これで本当に終わり。ほどなく二股にビバーク適地を発見。時間は14時。少し早いけどここで今日は終了。薪を集めて火が起きた頃に先ほどの2名パーティーが追いつく。どうやら今日は詰めて三条橋まで下るようだ。きっと到着は日もどっぷり日も暮れた後だろうな。

薪も豊富。ロケーションもまずまず。盛大に焚火を楽しみ快適な夜を過ごすことができた。

明けて二日目。すっかり水量も減り源流の様相。同時にヌメリがえげつなく、ここにきてフェルトを選んだことが吉と出た。ナメ滝やちょっとした滝の上りも赤茶のコケが覆っておりラバーだったらハラハラするようなところもスイスイ行けちゃう。いや~快適快適。
とはいえ詰めが近づくにつれ傾斜も上がり水が枯れた最後の背の低い笹薮の詰めあがりにはひーこら言った。
登山道に詰めあげると目の前に富士山どーん!僕の詰めあがり沢の一二を争う絶景のエンディング。ここで沢登りは終了です。富士山を見ながらしばし休憩。沢装備を解除しここからは下山モード。

下山途中に大菩薩嶺のピークハント、今回も沢からの百名山ゲット。
あとはながーい、ながーい下り。いつもそうだけど沢からのデカイ山の詰めは下りが核心だと思う。登山道が終わっても林道歩きが延々続く。辟易しながらも、泉水谷の本流沿いに続く道すがら足元の渓谷美に癒されながらなんとか気力を保ちながら下ることができた。泉水谷本流にはいくつものナメや大きな滝もかかり小室川谷よりも迫力がある。本流の丹波川もそうだがゴルジュ具合がえげつない。いつか機会があれば夏場にウェット着てキャニオニングしてみたいような場所であった。

今回の沢旅に奥秩父の神髄を見た気がする。深い広葉樹の森、そこから流れ出る豊富で清冽な水。都市部近郊にこれだけの茗渓が残されていることに感動する。どうかこにお景色が次世代にも、その次の世代にもそのままの形で引き継がれていくことを切に願ってやまない。

2021年9月10日金曜日

温故知新 ~常念岳・一ノ俣谷遡行~

 22歳で本格的な沢登りをはじめた僕。すべての動機は”小坂の瀧”その写真集の滝を自分自身で”ナマ”に出会うためだった。全面戦闘態勢で初めて触れた小坂の瀧、いや、小坂の渓谷で受けたその衝撃・激動・感動は今でも僕の中にしびれを伴い思い出される。これはやっかいなことに中毒性があるのだ。そう、いつしか僕はそんな魂の揺さぶられる”しびれる”体験を求めるようになっていた。




そんな小坂の”瀧”あらため、小坂の”滝めぐり”が僕のライフワークとなり、盛夏はシャワクラに明け暮れ毎度気づくと9月も終わりになっている。そんな沢のシーズンも今年、2020年で8度目のシーズンオフを迎えた。そして気が付けば僕も37度目の誕生日を迎えていた。年を重ねても止むことのない探求心と小坂の瀧への愛はますます募るばかり。

9月の末、僕は仕事を片付け夕食を済ませ今朝と同じく家族に再び「行ってきます。」と告げ一路車を安曇野に住む貝山氏のもとへ走る。通いなれた国道41号線を北上し高山へ、そこから東へ進路を変え松本を経て安曇野へ至る。すでに時刻は21時を回っている。

僕が22歳の当時、K山氏は27歳。お互い20代の独身だった。15年を経て家族が増え、今ではお互い2児の父。そんないい歳したおっさん二人で今回計画した沢遠征。

そうそう、沢遠征はそもそも普段慣れ親しんだ小坂の渓谷を離れ、他の山域の深山名渓に触れることで小坂の渓を客観的に見返すための価値観の発見が目的の旅であったわけで。

でも今となってはそもそもの目的よりもむしろ、沢そのものを楽しみたい、端的に言えば日常生活から離れ、どっぷり沢生活に浸り、俗世間から距離を置くことによって鈍っていた感性を磨きなおす(言い換えれば今の自分を顧みる)ことが目的となっていった。やわらかく言えば、「キツイのはほどほどにのんびりいこまーい!」というこです。そう、ここらで軽く一休みが必要なんです。僕たちにはね。


北アルプス南部の盟主槍ヶ岳に水源を発し、常念岳に至る稜線からすり鉢状に広大な集水面積を誇る梓川源流の一ノ俣および二ノ俣。その水は蒼く清冽で、その流れは花崗岩を磨き上げ白く輝く石とコバルトブルーの水の織りなす世界はさながら宝石箱のような渓谷美を醸し出していた。



僕たちは今回の遡行にそのうちの一つである一ノ俣から常念岳に詰めあげるクラシックルートを選んだのであった。このルート、かつては常念岳西側から直接アプローチする登山道として渓谷沿いに黒部氏もの廊下よろしく水平歩道が括り付けられた登山道が伸びていた。ただ廃道になってから半世紀以上経ち、登山道は自然に還っているらしい。

文字通り雲一つない秋晴れ、寒さすら感じる早朝の上高地バスターミナルに降り立った僕たちは久しぶりにアツイ沢旅に胸を膨らませながら長ーいアプローチ(10km)を黙々と歩みを進めた。

横尾を通り過ぎ、梓川も源流の様相を呈してきた。歩みをすすめ少々長すぎるアプローチに辟易しかけたころやっと一ノ俣橋に到着。時刻はすでに10時半。やっとここからが待ちに待った”本当の”スタート。沢支度はいつも楽しい。登山用靴下から沢登り用のネオプレンソックスに履き替え、渓流スパッツ、ハーネスにジャラ類をぶら下げ、ヘルメットをかぶり、あごひもを締めれば気持ちも自然と引き締まる。さぁ、ここからが本格的な沢登りのスタートだ。


歩き始めてすぐに釣り師に出会う。しかも外国人。よく見ると右手に何やら腕章をつけているようだ。すれ違い際に挨拶すると、流ちょうな日本語で「私は環境省の調査の一環で来ています」との返事が。確かに環境省の腕章をしていた。魚類の生態調査のようだ。


外国人調査釣り師と別れずんずん沢を進んでいくと最初の滝が現れる。前述の通りこの谷、もともとは常念岳への登山道として使われたのでもれなく滝に名前がついているわけで。最初に出会った一ノ俣F1は二段の滝と呼ばれている。遠巻きには1段で直登可能な滝に見えたが、なるほど、近寄ってみると二段あって両岸割とつるつるで直登は難しそう。個々は迷わず右巻きで。巻きは滝横のルンゼを詰める。すると詰めあがった先には踏み跡がみられる。踏み跡にしては高規格。多分登山道の名残かな。続く七段の滝まで左岸につけられた登山道の名残をたどる。七段滝の前衛は一見すると右岸に活路を見出せそう。しかし水流際でヌメリが気になり、ここを突破する気力もないのであっさり右巻きへ。ただこの巻きは前述の二段の滝のようにルンゼから上がるのだが上部がもろく悪い。落石しないよう配慮しながら上流へトラバース。意外とデリケートな高巻きはいいアクセントになった。



ここからがある意味ハイライト。眼下に七段滝のゴルジュを見下ろしながら旧道の岩切道を進みます。ネイリングされたボルトやチェーンが今なお残り、やたら登山道臭い。大きく右折するところで展望が開け向かいの穂高の山並みが美しい。その後谷に復帰したら一ノ俣滝はすぐそこ。名のある滝だけに立派な風体。その後支流にかかる山田の滝を見送ると、いよいよこの谷の盟主、常念の滝に出会う。この滝は本流にかかる小滝とそれに似つかわしい大きな滝つぼ、そして側壁に白い布を垂らしたように優美な常念の滝が紺碧の空から落ちている。その光景はこの世の眺めとは思えないような絶景で僕たちを魅了してくれた。



ただそろそろ僕たちも歩き疲れた。今宵の宿を求めふらふらとさまよい、やっとの思いで奥の二股にたどり着く。今宵はここで幕。長ーい一日を至極のビールでねぎらう。やっぱこれでしょ。酔いも助けてか、シュラフにくるまりすぐに眠りに落ちた。

目覚めて翌朝。目指す常念岳はもう目前。すでに源流の様相で地形図からみてもほとんど滝といえる滝は無いはず。ただ、ここからヌメリとの闘い。以上にぬめる沢床、両岸から張り出した背の低い樹木に行く手を苛まれながらじわじわと歩みを進める。スタートから1時間で常念小屋へたどり着く。そこから常念岳のピークへ。歴史の道をたどり常念岳の頂きにたどり着く。そう、このプロセスにこそ意味がある。ピークを踏み、山頂直下でK山氏がコーヒーを淹れてくれた。これぞ至極の一杯。足下に歩んできた流程が見える。いつもそう、こんな長い距離よく歩いたなーって思う。そしてちょっと満足感に満たされる。それでいい。それがいいのだ。休憩を終えこれで僕たちの今回の山旅は終わりを告げた。下山路は長野に住むK山氏は三股へ、岐阜に住む僕は上高地からバスで平湯へ。それぞれの帰路を別々に帰る。山頂で「お互い元気でまた会おう」そんな別れもなんだかしゃれているな、そう思いながらお互い背中を向けて別々の方角に向けて歩き出す。



蝶ヶ岳へのアップダウンのある縦走路をひた歩き、横尾へ下る。横尾からも無論長い林道歩きに閉口しながらも無事に上高地BT到着。達成感はあまりなく、むしろ倦怠感だけが残る。常念岳頂上でこの遡行が終了しているだけに長すぎる消化試合には何の楽しみもない。新型コロナウィルス感染対策など無い満員のバスに揺られながら平湯にたどり着き僕の今回の旅は終わった。

梓川一ノ俣は良い沢ではあった。ただアプローチが長すぎること、それに比べ沢の距離が短いことなどから遡行対象にはなりづらい沢ではある。が、しかし歴史を感じノスタルジ―に浸るにはうってつけの沢ではあった。お勧め度は低いけれど北アルプスの古道マニアには是非一度登っていただきたいルートではあるかな(笑)

2020年10月29日木曜日

【備忘録】濁河川兵衛谷踏査

最後に兵衛谷の在りし日の姿を見たのは多分2017年の9月。龍門の滝へのアテンドが最後だったか。その時は噴火に伴い発生した土石流の影響で滝の釜は埋まったものの渓相の変化はそれほどなかったことを記憶している。しかし去る2018年6月28日未明、総雨量1000㎜ともいわれるその局地的な大雨によって御嶽の山体は削り取れれ大規模な土石流を発生させた。その奔流は下流域まで一気に流れ下り僕の住む家の前を流れる濁河川に達し、それはまるで雷鳴にも似ていた。鳴りやまない雷鳴よろしく轟音と、家の中にまで漂う土臭さに飛び起きた。窓の外に見た今にも氾濫しそうな濁河川の姿に慌てて家族をたたき起こし着の身着のまま避難したことを今でも鮮明に覚えている。

その災害から1年、濁河川をはじめ被害の大きかった椹谷などの一部については、車両でアプローチできる場所に限って我々NPOによって踏査・現状を把握し、一部のコースは復旧し案内できるようになった。しかしそれらがおよばぬ奥山のコースについては被害状況すら確認できていなかった。特に兵衛谷中流部はアプローチが困難で手が付けられずに一年が経ってしまっていたことに自分の中ではやるせなさを感じていた。

そんなさなか、夏の間スーパー助っ人として滞在していた見た目浮浪者(いや失礼)しまとーが兵衛谷を詰めてみたいと言っていたのを思い出し一念発起。
シャワクラのシーズン中にも関わらず間隙を縫って2019年9月の上旬に1泊2日の兵衛谷踏査を強行したのだった。今回の相棒はもちろんしまとー。踏査とはいえ大好きな沢泊沢登り。否が応でも気持ちは高まる。さて、どんな沢旅になることやら・・・。




今回の計画はこうだ、兵衛谷・濁河本谷の出合から遡行し兵衛谷→シン谷と詰めあがり賽の河原へ抜け、そのまま摩利支天山乗越経由で五の池→濁河登山口へ下る少々ハードな計画。しかも今回は遡行期間中シャワクラの仕事で車両を使うため濁河から下界に戻るすべがない。そこで思いついたのが自転車。工程はおおむね下りというものの随所に上り返しがあるアップダウンコース。さすがに泊まり装備全て積んだザックを背負って40kmのアップダウンロードはしんどい。てなわけで観光協会で持っているE-Bike(電動アシストマウンテンバイク)をレンタルし登山口へデポることに。さて、これで帰りも楽しくなった(!?)

スタート前日、入手した情報によるとどうやら取水堰堤が工事のため開門するようだ。これはいかんということで急遽予定変更。出合からゴルジュを泳ぎっぱなしで体力消耗するのはご免、そして今回はコースの踏査という目的のため(!?)下流部ゴルジュはパス。滝めぐりコースでもあるしょうけ滝コースの降り口まで林道を歩くことに。ただ延々林道歩きは意外としんどい。結局兵衛谷本流に降り立つのに2時間を要した。しかし下流部ゴルジュを突破することを考えると半分で済んでいるのでよしとしよう。

ここからようやく兵衛谷の本流。降り立ってみてびっくり。谷底の変化よりもむしろ斜面からの倒木の多さが目立つ。きっとこれは昨年の9月の台風の影響に違いない。豪雨の影響もさることながら台風の影響をこんな谷底までうけているとは。やはりしょうけ滝手前のゴルジュ(オーバーハングの淵から滝のない滝つぼ)までの区間はむしろすっきりしており渓相は美しい。しかしながら水量が多く水線沿いの突破が難しいので高巻き。滝のない滝つぼを見下ろし下降すると谷底から3mが急なガレになっていかにも降りづらそう。しまとーは先陣切手降りるもののプチ滑落。グローブしていなかったため手をずたずたにされて痛そう(苦笑)

ゴルジュの最奥に鎮座する大御所・しょうけ滝(2段25m)を左岸巻きで越えていくと河原は一変して平凡なゴーロに変化する。しばらく歩くと見覚えのある光景に突き当たる。しかしどうも様子がおかしい。以前は深い淵を湛えた3mほどの滝があった場所には滝も淵もなくただ平凡な流れが20cmほどの落差の瀬をもって流れていた。そう。滝が消滅していたのだ。そこには確かに滝があった。しかし今は無い。以前のこの淵は濡れずにパスしようと思うと意外と難しい場所だった。その当時の名残でリングボルトが今はむなしく無意味にアクセサリーのように取り残されている光景に妙に切なさとはかなさを感じぜずにはいられなかった。

その後も増水と渓相の変化に多少難儀しつつも中流部のハイライトともいうべき扇滝までやってきた。扇滝は兵衛谷屈指の奇観、石橋の下を地下で水流がえぐり滝つぼと淵とを隔てる奇妙な光景が楽しめる珍スポットだった。しかし今はその姿はない。石橋は跡形もなく消え去り、あたかも以前からそうであったように大きな一つの滝つぼを擁した滝が鎮座していた。そう、石橋は寸断され消滅した。それが事実であった。それ以上でもそれ以下でもない。ただそれを受け入れ認めるのみ。心の片隅で残念だとも思ったがこれは必然であり人間にはどうもしようもないこと。ただそれだけだ。

その後も遡行を進めたが幾度となく土石流の痕跡や、在りし日の姿とは大きく異なる渓相を目の当たりにしてきたのだが何故か平穏、いや、むしろ驚かないし、傷つかない自分がいた。吹上の滝・屏風滝・岩俺の滝などの豪瀑を越え龍門の滝、袴田滝、材木滝も越えてただひたすらに作業のように確認するかの如く遡行を続けた。だがそこには自分でも意外なほどに何の哀愁もなかった。

かつてゴルジュであった谷中は土砂で埋め尽くされむしろ平坦地となって快適なテン場で一夜を明かし翌日は兵衛谷からシン谷を経て賽の河原に抜けた。渓相はもちろん随所で変化していた。特に長沢出合までの荒れ方は壮絶なものであった。厚さ5m、いやところによっては10mを超える土石の堆積で谷は埋め尽くされかつての姿などみじんも感じられぬ様相だった。

今回は長沢から百間滝へ抜ける最短ルートを選択したがその道中に通過した広大な面積の原生林が無残にもなぎ倒された光景にも出会った。きっとこれは6月豪雨の後、9月の台風の影響であろうと予測がついた。2018年という年は一瞬にして僕の記憶していた御嶽・そして兵衛谷を過去の喪にしてくれた、そんな劇的な変化を与えてくれたものだと改めて感銘?を受けた。
僕たちが今見ている景色は決して永遠ではなく、永遠と思われるものもたかだか人類、いや、有史(2000年そこそこか)でしかない。何千年も何万年もかけてできた光景が一瞬にして無くなることも何十万年、何百万年の長い月日の流れの中においてはよくあることなのかもしれない。でもその一瞬に出あれる確率はかな~り低いはず。

僕は兵衛谷にはなにかしら愛情のようなものすらある。だから変わってしまった姿には多少なりとも、いや、人一倍傷ついている。しかしながら変化が常である渓流において保全はただの人間のエゴだとも思う。だから僕はあるがままを自然に受け入れるし、過剰に悲しみもしない。だってしごく自然なことだから。むしろその一瞬一瞬の変化を目の当たりにできて幸せだとさえ思う。

さて、一部の方はお気づきの通り今回の遡行はとても冷静です。いつもの僕なら情熱的で奮闘的な記述になりがちですが今回は既知が前提の冒険要素がほとんどないいわばトレース(追跡)のような一種”作業”とも呼べる所業。されども随所に傷跡というべきか、痕跡というべきか、豪雨の仕業と思わしきものを随所に見受けられ、既知の中にも新鮮さを得ながら遡行できたことに今回の価値を見出そう。



2018年12月31日月曜日

2018振り返り

平成最後の年はまさに激動の年となった。

夏も終わり沢も山も落ち着き、やっと(半年以上ぶりに)筆を執る気になった。
ということで2018も残すところ2カ月というタイミングですが今年を振り返るとしよう。
(更新は2018年12月31日ですが・・・。)

巌立詣でで始まるいつもの年明け。ただ今年は異常に寒かった!その代わり雪はとっても少ない。おかげで氷瀑は過去最高の出来上がり。3月まで連日取材やツアーに毎日のように雪山にでかけた。



4月に216WORKSを立ち上げ、NPOも理事長が変わり小坂の滝めぐりの運営体制も新しく始動した、そんな矢先に起きた6.28豪雨災害。

思い返せばこれを皮切りに(一部先んじて)6月の大坂北部の地震、7月の西日本豪雨、8月の酷暑(金山は40度!で日本一)、9月の台風襲来(21号が最も大きい被害)。災害また災害。しかも数十年に一度クラスの災害が連発した。



むろん滝めぐりも大きな痛手を負ったわけで。しかし災い転じて福となす!
6月の豪雨被害ではいち早く岐阜県知事も現地視察にかけつけてくださり、そこからものすごいスピードでがんだて公園三ツ滝遊歩道は復旧していき9月の台風でまたクローズしたものの紅葉ハイシーズン前に完全リニューアルしてオープンするに至った。



そして小坂の滝めぐりコースのほとんどがダメージを受けたにも関わらずシャワクラメインコースの赤谷だけは無傷という奇跡!8月の酷暑も功を奏し(?)連日シャワクラな毎日。7月、9月の天候不順にも関わらず過去最高の入込を記録し、今シーズンの幕を閉じた。















また、本格的に山のガイドにも参入!?(けどほとんどヘルプで入っているだけ)たぶん人生で最も日本アルプス界隈の登山したと思う。8月から10月まで北アルプス中心にいろいろ歩き回ったな~。おかげで足壊れた。歳だね~(汗)
















そしてそんな2018年最後の日は御嶽飛騨頂上へひとりお礼参りへ。
















凛とした空気と静寂。改めて御嶽に生かされているのだと思った。

1年の短さに嘆く前に1年後を見据えて今何をすべきかを考える。

さー、2019も張り切って行こまい!!

2018年11月19日月曜日

[備忘録]巻機山 登川米子沢

月の半分以上を山で過ごす日常も過ぎ去れば非日常。懐かしく思う今日この頃。今回の備忘録は山漬けな今シーズンにおいて初めてにして最後の完全プライベート沢旅。

長らく保留リストに残り続けていた上越の名渓・米子沢、ついに今年遡行のチャンスに恵まれた。

相棒はいつもの貝山氏。久しぶりの二人での沢旅だ。沢を始めたころは2人ともまだ20代だったはずがいつしかアラフォー。その間沢に向き合う姿勢も少しずつ変化してきた。今年は挑戦というよりかは観光分、ほぼ下調べゼロで乗り込んだのだった。



巻機山の米子沢といえば沢ヤの中では超メジャー級の沢&初級の沢として人気のルートで知らない者はいないほど!?僕も以前から貝山氏よりそのことを聞いていたが、”日帰り沢”&小坂からは前泊しないと辿り着けないことがハードルとなり遠征リストからは外れ続けていた沢だった。今年は紅葉と沢をテーマに据えていたのでどんぴしゃで米子行きが決定した。しかも巻機山には貝山父が管理してみえる山小屋がある。さらにそこは入渓点からめちゃくちゃ近い好立地ときた。今回はここに泊まることもひとつの目的で楽しみのひとつ。久しぶりに緊張感よりも旅感が勝る沢旅が始まった。

まずは穂高町の貝山家で伊澄に再会。沙羅ちゃん特性パスタを頂いてから出発。酒だの飯だの買い込み貝山パパの待つ山小屋へ。道中、雨が降りた出したが「ま、明日には止んではれるでしょう!」とお気楽モード。山小屋に着くと早速おやじさんのおもてなしで上げ膳据え膳夕食を頂く、ありがた~い。

ただ晩秋の山小屋にはカメちゃんがたくさん。うす暗いランプの灯りなので薄暗く、かえってましだが、たぶん小屋の中には軽く1000匹は彷徨してるのではないかというほどのカメパラ(カメムシパラダイス)。食事中も寝る時も頼んでもないのに常に側にいてくれる。そのためちゃっかり一匹カレーライスに潜り込んで一緒に踊り食いしてしまったわけで…。
そこそこ呑んでシュラフに潜り込み就寝。カメちゃんの香りと薪ストーブの煙の薫りが良い眠りのアクセントになった。



目覚めて翌朝。天気はイマイチ。というか雨!天気予報では快方にむかう予定だがどうなることやら・・・。ただ、ここでやめる選択肢はないし行くっきゃない。
登山口に着くとすでに何台も車が止まっている。平日にも関わらずこの賑わい、巻機山の人気がうかがえる。沢装備を整えレインを着こんで出発。登山口を背にして米子沢添いの林道をしばらく進むとご丁寧に米子沢入口の看板。ここで入渓砂し遡行開始。序盤はずーっとゴーロ帯。だんだんと水が流れ始めてようやく沢登りらしくなってきたなというところでナメ滝沢出合到着。ここから上流ゴルジュの様相だ。雨で岩が濡れているし直登する気もサラサラ無いので巻道に突っ込む。

さすがメジャー沢。踏み跡は固く踏みしめられ一般道並みに快適。途中大滝(40m)らしきものが霧の中に垣間見られ幻想的だ。巻道は急な場所もあるが概ね歩きやすい。巻き終えると本格的に沢のスタート。次々と現れるナメ滝、ただ天気さえよければきっと快適なのだろうな~と思いながらヌメる沢床に注意しながら進む。滝はどれも直登できそうな代物。そうでないものも巻道が明瞭にあったりでオンサイトながらも全く不安なく登れる。


しかしツバメ岩を過ぎいよいよ中流部ゴルジュ突入というところで痛恨のミスを犯す。ゴルジュ入口の滝を支流から巻き越えるとルートにバツ印が。それを避けて進むと道がなくなった。そこには残置支点がありどうやら懸垂して沢床に降りるようだ。「初級の沢で懸垂は無いわ、間違いでしょ」と早合。そう、この時点で僕たちは取り返しのつかないミスを犯した。

最初は明瞭だった踏跡も次第に薄くなり、やがては消滅した。ただその時点では戻るには遠すぎるしこの先行けば簡単に沢に降りれるだろうとナメてかかっていた。しかし期待とは裏腹に、いつになっても傾斜は緩まず谷にからは遠ざけられ、ぐんぐん高度を上げるこおしかできなかった。「甘かった…。」と思うが時すでに遅し。こうなるとむしろ、「久しぶりに思い切り藪漕ぎしよーぜ!」と開き直るわけで、2人とももくもくと笹の海を文字通り”漕ぐ”ように進む。朝露に濡れた藪漕ぎのおかげでシャワクラした並みにずぶ濡れ(笑)やけくそ半分愉しさ(?)半分。二人とも思う存分、上越の笹薮地獄をEnjoyしたのであった。巻道はところどころ薄い踏み跡や、古い刈り払いの跡などが散見された。かつては巻のルートだたのかもしれないと思う場面もちらほら。でも今は絶賛廃道中。もがくこと一時間強。永遠とも思われた藪漕ぎにも終わりはあった。ゆるやかそうな斜面を下降するとやっとでゴルジュ出口の滝に降り立つことができた。いやーもうお腹いっぱいですわ。



ここからは天国のナメとも形容されるほどの米子沢のハイライト、通称大ナメというポイント。確かに素晴らしいナメ床が延々と続く。しかしガスガスで10m先しかみえな~い(泣き)ま、そんなこともあるさ。ガスの切れ間から稜線の草原がチラチラみえ始め、ここから源流まではそんなに距離は無い。でもそのわりに水量はまだまだ豊富で、しぶとくいつまでも滝がある感じ。いや~さすが豪雪地帯の山。保水力が半端ない。


奥の二股は巻機山頂に突き上げる右股、避難小屋へ抜ける左俣の分岐。右股には植生保護のためか通行止めのロープが張ってある。左股を詰めると藪漕ぎなしで素直に登山道に詰ることができた。登り4時間で避難小屋に到着。カップラーメンと貝山パパの男気オニギリで腹を満たし早々に下山。今回唯一踏んだピーク”ニセ巻機”のネーミングにこの山の不遇さを感じざるをえない。せめて前巻幡とか、もっとましな名前があっただろうに…。

ぐんぐん高度を下げるとやがてガスが切れ山麓の赤い燃えるような紅葉が眼下に広がった。次第に高度を下げ樹林帯に入ると今度は美白の幹が文字通り林立するブナ林。どうやら米子沢のハイライトは下山に待っていたようだ!

今回は紅葉のベストなタイミングで訪れることができ、沢では残念な思い(?)をしたけれど十分満足な秋の遠征となった。ありがとう巻機山!!!またくるよ、今度は間違いなく沢通しで歩きたい(笑)総じて良い沢・良い山でした。